世の中の関心が電気自動車に集まり始めた1970年代、「デトロイト号」の第二の人生が始まりました。何といってもシルクハットとうたわれた優美な姿は大きな魅力。モーターショーや見本市などのイベントをはじめ、ポスターや映像メディアなど、あらゆる場面に登場する活躍ぶりです。特に1977年(昭和52年)は会社設立60周年の節目。「日本電池60年の歴史と技術」を象徴するものとして、広告宣伝活動に欠かせない存在でした。 その頃の「デトロイト号」は、普段は本社ロビーに展示され、工場見学に来られたお客様にお披露目されていました。広告の撮影やイベントの時には建物から運び出されるのですが、それがまたひと苦労だったとか。というのも当時の本社の玄関は幅が狭く、車を出し入れするためには入口の柱を1本外さなければならなかったから。これがなかなか大変な作業だったので、2回目以降はスムーズに出し入れできるように玄関の柱を取り外しやすいように加工したそうです。もちろん、ロビーの床も車の重さに耐えられるように補強。社屋の一部を改装するほど「デトロイト号」は日本電池にとって大切な存在なのでした。1981年(昭和56年)、新社屋の完成とともにこの車もそちらへ引っ越し。以来、シンボル的存在として、新しい本社のロビーで訪れる人々を迎え入れてきました。 1970年代から80年代にかけては、展示会などのイベントによく参加していた時期です。1975年東京モーターショー、1976年(昭和51年)大阪国際見本市、1987年(昭和62年)京都YOU遊フェスティバル…どこへ行っても「デトロイト号」の周りは人だかり。来場者にひときわ人気の電気自動車でした。馬車のような独特のスタイルはもちろん、1917年にすでに電気自動車が存在していたことも人々の関心を集めました。搭載している蓄電池を見せたり、来場した子どもたちを車内に乗せたりと、イベントではいつも大忙し。バーハンドルも珍しかったのでしょう。車内をのぞき込んだ人から「ハンドルはないのですか?」という質問もたびたびありました。そこで「バーハンドル」と書いた札を説明代わりに設置し、時にはスタッフが乗り込んでデモンストレーション。バーを押したら車輪は左、引いたら右に動く様子に、来場者たちは興味津々だったそうです。かつて、島津源蔵を魅了した「デトロイト号」は、60年の時を超えてなお多くの人々をひきつけるのでした。 | ||||||
|