記録では、この車は約30年もの間、実際に走行していたとされています。当時の車の寿命は定かではありませんが、それは決して短い時間ではありません。その間、直射日光や風雨に耐えるためには、天井部分のメンテナンスも何度も行われたはずです。オリジナルの天井にも紙が使われていたかどうかは不明ですが、柿渋が防水のために和傘などに使われる日本の伝統的な塗料であることを考えると、おそらくこれも島津源蔵や技術者たちの工夫だったのではないかと思われます。金属だけではなく、木や紙をその素材に使い、30年という歳月を走り続けた車。その事実は、島津源蔵たちがいかにこの車を大切にしてきたかを物語っています。しかし、それは同時に新たな課題の浮上でもありました。紙と柿渋を使った天井を、どう修復すればいいのか。それは、現代の自動車修理のプロにとっては専門外のこと。「デトロイト号」復活計画は、なかなか一筋縄ではいきそうにありません。
また、資料に掲載されている写真をよく見ると、現在のものよりも径が大きなタイヤが使われています。中心から放射線状にワイヤー(スポーク)が伸びているタイプで、車のタイヤというよりはまるで馬車の車輪のよう。輸入されてから約90年ですから仕方がないことですが、当時のタイヤが失われてしまったのは惜しまれるところです。 ドアの外にあるステップを上って、「デトロイト号」に乗り込みます。車内は計器類もバックミラーもないすっきりとした空間。左右の窓は開閉できませんが、フロントガラスの上部が開いて風を取り込むようになっています。前の座席は回転式の椅子になっていて、後ろ向きに座れる仕組み。後部座席の人と向き合って座るなんて、乗り方も何だか馬車のようです。島津源蔵はいつも後部座席に座っていたそうですが、夫婦で外出する時は、前の座席を回転させて奥様が座られたのだとか。車内で向き合い、おしゃべりしたり一緒に風景を眺めながら優雅にドライブを楽しむ様子が、何だか目に浮かぶようです。 | ||||||||||
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