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![]() ![]() やがて石油エネルギー時代の到来とともにガソリン車の時代が訪れますが、1965年(昭和40年)頃から排気ガスや騒音などの問題がクローズアップされると、再び電気自動車にスポットが当たります。自動車・電機・電力・電池の各業界が研究開発を進め、普及促進の取り組みも活発化。企業や団体、イベントなどに採用され、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会では、275台もの電気自動車が導入されました。そして近年、環境問題やガソリン高騰などの社会情勢の中で、三たび電気自動車への注目が高まってきています。CO2排出量を削減し、安価な電気で走行できる高性能の電気自動車を目指して研究開発が進められ、量産体制も確立。2009年(平成21年)より各自動車メーカーから電気自動車が発売される予定です。 ところで、電気自動車はガソリン車と異なり内燃機関が搭載されていないため、その走行性には蓄電池の性能が大きく影響します。しかし、高性能の蓄電池を開発するには、自動車メーカーの自社開発ではどうしても限界があるため、各電池メーカーとの共同開発が業界の主流となっています。GSユアサは、大型リチウムイオン電池を国内で唯一量産できる企業として、技術の高さが厳しく問われる電気自動車用蓄電池を開発しました。大容量で高性能なリチウムイオン電池「LEV50」を搭載した電気自動車が街を走り始めます。 そのGSユアサの社内で、今、電気自動車に関するもう一つの計画が動き始めています。それが、本社ロビーに展示されていた「元祖エコカー」とも言うべき90年前の電気自動車「デトロイト号」の復活プロジェクトです。 ![]() ![]() 以来、約30年間の長きにわたって走り続けた「デトロイト号」も、主人の島津源蔵が社長を辞任するに伴って引退。けれどもその存在は、創業以来さまざまな電池を開発・生産してきた会社にとって、事業の象徴であるとともに、電気自動車に携わる原点とも言えるものです。引退後の1946年(昭和21年)以降は大切に倉庫に保管され、1981年(昭和56年)の新社屋完成後はロビーに展示。品格を湛える貴重なクラシックカーとして、また、往時の電気自動車を物語るものとして、社員に愛され、訪れる人々に注目されてきました。そして、第三次電気自動車ブームの到来。 ![]() ふとしたきっかけでそんな提案を試みたところ、真っ先に賛同したのは社長や常務など会社幹部のエンジニアたち。実は彼らも「デトロイト号」を動かしたいという思いを、ずっと抱いていたのでした。 ![]() 最初の課題は、「誰が修復を行えるのか」でした。何といっても「デトロイト号」が造られたのは90年以上前。まるで骨董品です。これを走らせるのですから、簡単ではありません。誰に依頼すればいいだろう。ヒントは、幹部エンジニアのアドバイスにありました。 「取引先に、以前、デトロイト号に携わっていた企業がある」。それが、京栄ニチユ(株)との出会いでした。現役時代の「デトロイト号」をメンテナンスした経験があり、現在は電気自動車のメカニズムと共通部分の多いバッテリー式フォークリフトの販売とメンテナンスも手がけています。そして何より心強かったのは、「動くようになりますか?」と話を向けた時に「程度はどうあれ、動かすことはできます」という言葉でした。京栄ニチユのスタッフは、その胸の内をこう語っています。「実は、こちらの会社を訪れるたびに、ロビーにあるデトロイト号のことが気になっていたんです。どんな構造をしていて、どんなふうに走っていたのかって。だから、実際に修復のお話をいただいた時は、嬉しかったですね」。 ![]() ![]() でも、プロジェクトメンバーたちには、ある共通の思いがあったのです。 ![]() プロジェクトのテーマは、90年前の品格を最大限に守り残すこと。そのために、まずは解体・調査を実施して、「デトロイト号」の状態を確認する必要があります。その結果を受けて本格的な修復作業に取りかかり、2009年(平成21年)3月の完成を目指すスケジュールが立てられました。 ![]() | ||||||
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